dgwingtong's blog

世の中について書きます

私たちの本分は世界と恋におちること

 第三の転法輪は、詩人ロビンソン・ジェファーズのいう「外に向かって恋におちる」ことに近いのではないかと思う。この世界から逃げ出したり、図表を眺めなからボタンやレバーを、いじっては、遠隔操作でものごとを処理したりすることが、私たちの本分ではない。私たちの本分は世界と恋におちることだ。私たちはそのように生まれついている。なぜなら、私たちは世界と連係生起するから。それは、私たちが世界から立ち現れてはまたそこへ消える、終わりのないダンスーー。
 この第三転法輪はコミュニティ(共同体)づくりも促す。孤独は現代の大きな苦しみの一つである。これを踏まえると、力を合わせて積極的に人生を切りひらいてゆく必要があること、互いの相互依存性を目に見える具体的な形にあらわしてゆかなければならないことがわかる。私たちは相互の信頼に賭けて、新しい形で互いの生をしっかり結び合わせなければならない。ともに生き、ともに働き、ともに遊び、ともに祈る、そんな社会システムを生み出せるようにーー。欲望や怖れは人と人を引き離す力が強い。それは私たちを狂気に駆り立てる。私たちは欲望や怖れの本質を見抜いて、互いに蹴落としあうような競争を慎しむべきだ。生きとし生けるすべてのものを通して、また生きとし生けるすべてのものの側に立ってはじめて、私たちは本当の平和と喜びにめざめることができる。これを実現してゆくことこそ、日々の冒険にふさわしい。
 法輪の回転はまた教える。いのちのつながりはすでに存在しており、私たちは が発明したり築き上げたりする必要はない、と。私たちはすでに、しっかりと互いどうしの一部になっている。それが生命の本質だからーー。どんなに急いだりあわてたりしても、ときにはそう思えないようなことがあっても、私たちは互いの一部なのだ。これがわかったとき、安らぎが訪れる。 立ち止まって、深く息をつくことができる。そしてその息が、私たちを法輪の不動の軸につなぎとめてくれるのである。

第15章 第三の転法輪
「世界は恋人  世界はわたし」
ジョアンナ・メイシー  から